2015-02-16 第189回国会 衆議院 本会議 第6号
おらが大将で知られる田中義一元首相の御子息で、十三期衆議院議員を務められた田中龍夫元文相、通産相は、私が政治上の父とも師とも仰ぐ方であります。 引退表明される一カ月前、私を伴い、明治維新の志士を輩出した郷里・萩の松下村塾で知られる吉田松陰先生の墓参りをいたしました。言わず語らず、後継者としてのあるべき心構えを示唆されたのであります。「至誠にして動かざるもの未だこれあらざるなり」。
おらが大将で知られる田中義一元首相の御子息で、十三期衆議院議員を務められた田中龍夫元文相、通産相は、私が政治上の父とも師とも仰ぐ方であります。 引退表明される一カ月前、私を伴い、明治維新の志士を輩出した郷里・萩の松下村塾で知られる吉田松陰先生の墓参りをいたしました。言わず語らず、後継者としてのあるべき心構えを示唆されたのであります。「至誠にして動かざるもの未だこれあらざるなり」。
これは私を指名を、後継指名をいただいた田中龍夫先生の自宅兼事務所、私がもう学生時代から出入りしているところでございますが、そこに三か年間ほど事務所を置かせていただいた。それは、もう既に今年の三月三十一日に解散をいたしまして、私の政治資金管理団体にすべて統合をしたものでございます。そういう経緯。それから、私の事務所に対して架空の流用をしたではないかと。
これも実は事実誤認でありまして、当該マンションの所有者は、後ほど説明をさせていただきたいと思いますが、私の恩師であります故田中龍夫先生の御長男が所有されている。元公設秘書は別に自宅を持っておるわけでございます。
しかし、地元の方々は皆、田中龍夫先生から長い後援会の方々も、あそこにそういうものがあるということはよく御存じでありました。だから、特にそうした看板は出しておりませんでした。
○河村国務大臣 これはもうちょっと説明しないとあれかもしれませんが、御指摘をいただいたマンション、これは事務所として使わせていただいたものでありますが、これは、さっき申し上げました、私の恩師であります田中龍夫先生、私は平成二年に、一九九〇年に当選したものでありますが、それまで田中龍夫先生は、文部大臣、通産大臣、総務庁長官等を歴任された。
これは私としては、私の後継を指名をされました田中龍夫先生のお宅といいますかその一部を事務所として利用させていただいた、その届出、三か年間でございましたが、御厚意に甘んじて管理費をお支払いをしながらおったわけでございますが、その家賃については寄附に当たるのではないかと、こういう御指摘もございました。
また、あたかもこのマンションが元公設秘書宅というような書き方でありまして、これも事実誤認でございまして、このマンションの所有者は、故田中龍夫先生の御長男のものでございまして、元公設秘書は別に自宅があるわけでございます。
一九七七年三月三日に出されたのが、通産大臣、当時は田中龍夫氏ですが、大臣通達で、「原子力発電所における安全確保対策の強化について」こういうものが出されております。同時に、一九八八年には、十一月八日に、原子力発電運転管理室という名称で「大臣通達による軽微な故障等の報告について」と、事実上、この大臣通達が原子力発電運転管理室名で修正をされております。
また、内閣にあっては、昭和五十五年七月、鈴木内閣において田中龍夫文部大臣のもとに文部政務次官に就任、その後、平成元年八月、第一次海部内閣においては、文部大臣として初の入閣を果たされ、多くの業績を残されました。
永年在職議員として表彰された元議員田中龍夫君は、去る三月三十日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 田中龍夫君に対する弔詞は、議長において昨十四日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。
――――――――――――― 本日の会議に付した案件 永年在職議員として表彰された元議員田中龍夫 君逝去につき弔詞贈呈報告の件 本日の本会議の議事等に関する件 ――――◇―――――
○谷事務総長 まず最初に、議長から、永年在職議員として表彰されました故元議員田中龍夫先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 次に、日程第一につき、塩田安全保障委員長の報告がございまして、共産党及び社民党が反対でございます。 次に、日程第二につき、西村災害対策特別委員長の報告がございまして、共産党が反対でございます。
まず、元議員逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、去る三月三十日、永年在職議員として表彰された元議員田中龍夫君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 弔詞につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、理事各位の御了承を得まして、葬儀当日、議長から贈呈していただきましたので、御了承願います。
そのとき通産省で輸送隊の責任を負っていたのが実は田中龍夫先生であったのであります。無事に朝鮮人労働者を連れていくことができました。 そして私の着いた三池炭鉱はそのときどういう状況かというと、朝鮮人労働者だけではなくして、中国山東省の捕虜の人々が働いていました。
同(松前仰君紹介)(第二三二一号) 同(浦井洋君紹介)(第二四九七号) 同(田中美智子君紹介)(第二四九八号) 同(中路雅弘君紹介)(第二四九九号) 保育制度の堅持、充実に関する請願(井上喜一君紹介)(第二三二二号) 同(小沢辰男君外一名紹介)(第二三二三号) 同(奥田敬和君紹介)(第二三二四号) 同(河本敏夫君紹介)(第二三二五号) 同(鴻池祥肇君紹介)(第二三二六号) 同(田中龍夫君紹介
大蔵省主計局次 長 小村 武君 委員外の出席者 大蔵委員会調査 室長 兵藤 廣治君 ───────────── 十一月七日 共済年金の改善に関する請願(宇野宗佑君紹介)(第一六二号) 同(臼井日出男君紹介)(第一六三号) 同(小川元君紹介)(第一六四号) 同(佐藤信二君紹介)(第一六五号) 同(田中龍夫君紹介
理事 佐藤 敬治君 理事 村山 富市君 理事 宮地 正介君 理事 玉置 一弥君 糸山英太郎君 稲村 利幸君 上村千一郎君 小渕 恵三君 大坪健一郎君 大野 明君 奥田 敬和君 川崎 二郎君 倉成 正君 近藤 鉄雄君 左藤 恵君 佐藤 文生君 田澤 吉郎君 田中 龍夫
理事 中島源太郎君 理事 佐藤 敬治君 理事 村山 富市君 理事 宮地 正介君 理事 玉置 一弥君 稲村 利幸君 上村千一郎君 小渕 恵三君 大坪健一郎君 大野 明君 奥田 敬和君 倉成 正君 後藤田正晴君 近藤 鉄雄君 左藤 恵君 佐藤 文生君 田澤 吉郎君 田中 龍夫
考 人 (東北大学法学 部教授) 小田中聰樹君 参 考 人 (日本弁護士連 合会事務総長) 大石 隆久君 法務委員会調査 室長 乙部 二郎君 ───────────── 委員の異動 十月十一日 辞任 補欠選任 上村千一郎君 田中 龍夫
理事 谷川 和穗君 理事 中島源太郎君 理事 佐藤 敬治君 理事 村山 富市君 理事 宮地 正介君 理事 玉置 一弥君 稲村 利幸君 上村千一郎君 小渕 恵三君 大坪健一郎君 奥田 敬和君 倉成 正君 後藤田正晴君 近藤 鉄雄君 左藤 恵君 佐藤 文生君 田澤 吉郎君 田中 龍夫
理事 村山 富市君 理事 宮地 正介君 理事 玉置 一弥君 井出 正一君 稲村 利幸君 上村千一郎君 大坪健一郎君 奥田 敬和君 倉成 正君 古賀 正浩君 後藤田正晴君 近藤 鉄雄君 左藤 恵君 佐藤 敬夫君 佐藤 文生君 砂田 重民君 田澤 吉郎君 田中 龍夫
上村千一郎君 小渕 恵三君 尾身 幸次君 大坪健一郎君 大野 明君 奥田 敬和君 倉成 正君 小坂徳三郎君 古賀 誠君 後藤田正晴君 近藤 鉄雄君 左藤 恵君 佐藤 静雄君 佐藤 文生君 杉浦 正健君 砂田 重民君 田澤 吉郎君 田中 龍夫
理事 佐藤 敬治君 理事 村山 富市君 理事 宮地 正介君 理事 玉置 一弥君 伊吹 文明君 稲村 利幸君 上村千一郎君 小渕 恵三君 大坪健一郎君 大野 明君 倉成 正君 小坂徳三郎君 後藤田正晴君 近藤 鉄雄君 左藤 恵君 佐藤 文生君 田澤 吉郎君 田中 龍夫